息づくご縁

11月9日(日)高知県にある真宗大谷派土佐別院にて報恩講(宗祖親鸞聖人のご命日)が営まれました。
 いやいや、私たちは香川県在住。高知県とは同じ四国とはいえ格別に何かある訳ではないんです。きっかけは、お坊さん同士のやりとり。

土佐別院は普段は人の出入りが少ないお寺だというのですが、せっかくの報恩講、遠近各地から親鸞聖人のご遺徳を偲んで集う人々に何かしらの良い思い出なりとも…ということで、当会の雅楽を法要の中で奏でて欲しいとの依頼を頂いたという訳です。同じ浄土真宗のお坊さん同士、私たちも参集させて頂く運びとなりました。

雅楽を奏でる楽器・道具すべて持参です。太鼓・鞨鼓・鉦鼓・笙・篳篥・龍笛etc
コロナ禍以降なかなかないチャンス。楽しみに思い当日を迎えます。
見事に大雨orz

しかし、遅れるわけにはいきません。参加メンバーうち揃って、いざ高知へ。
道中の雨に先行きの心配を募らせながら、土佐別院到着。
雨は上がり、太陽が顔を覗かせます。


30人以上の参詣者が賑やかに参詣されるなか、雅楽器の説明を熱心に聞いてくださり、音色に感嘆の声を漏らし、大いに楽しんでくださった様子。
当会会長曰く「雅楽が法要に加わることにより法要の格式が上がる。」→「自分で勝手にハードルを上げてしまった…orz」か、会長…。


法要開始に伴い出勤僧侶の入場・作法・退場に合わせて平調の五常楽急・越殿楽・鶏徳・陪臚の4曲を奏楽させていただきました。


雅楽の演奏を間近で見ることが物珍しいこともあってか、参集の皆様が大変喜んでくださったことが嬉しく、普段、人のご縁が少ないというこの場所にも、親鸞聖人のご遺徳によって紡がれたご縁は確かに息づいていました。参加させてもらえたご縁に感謝。


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節目

梅から、河津桜へと花の盛りの移り変わりが春を感じるようになりました。

大人になると同じことの繰り返しに慣れ親しんで「今年もこの季節がきたか」で日々を過ごすようになりがちですが、年度末の忙しさの中で中高生の卒業のニュースを目にすると、人生の節目を迎えた時のことを思い出すことも大切だなと…。
人生の節目は終わりであると同時に新たな人生の始まりです。それまでの積み重ねの成果の結果です。

新生活に心を弾ませている人もいれば、人生の進路に迷いを抱えている人もいるでしょう。
新たな人生を歩み始めると、それまでと違うペースに戸惑う事でしょう。
「イメージと違う」「こんなはずじゃなかった」結果、すぐに学校生活やキャリアをリセットしたくなった人も多いのでは…。

先日、お坊さん仲間の一人から「今日は楽だった。」と一日の感想をもらしたら「それは周りに迷惑をかけたな。」と父親に窘められたそうです。
「どうゆうこと?」
「仕事や勤めはしんどいぐらいでちょうどええんや。」
「なんで?」
「端(はた)を楽(らく)にさせるのが働くいうことやから、しんどいぐらいがちょうどええんや。」

人生の節目というのは、自分がどうありたいかを問う絶好の機会であり、ただ悩むのではなく、どう悩むかが大切なのではないでしょうか。



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紅葉の季節

 長い猛暑の季節もようやく収まり、遅れていた秋が急速に現れ出しました。
 その猛暑の影響か、農作物を筆頭に、季節の草木の成長も遅れ気味のようです。
 秋は実りの秋と呼ばれるように、収穫の時期とされていますが、これまでの積み重ねが現れる時期とも言えます。食欲の秋です。

 今年は、曼殊沙華が咲くのが遅かったと周囲は口を揃えていましたが、サンスクリット語で「葉より先に咲く赤い花」を表す言葉が「曼殊沙華」の語源と言われ、また仏教経典の中では「天に咲く花」という意味で「おめでたい事が起こる兆しに天から降ってくる花」と言われています。彼岸花と言われる花にしては私たちの持つイメージと反対の意味が込められていることに興味を惹かれます。

 秋の収穫が一段落すれば、本格的な冬の季節に差し掛かるので、秋の季節の短さ・儚さを物悲しく捉える方も多いみたいですが、燃え盛るような紅葉の季節が始まったと思えば、物悲しさではなく、運動の秋・読書の秋、そして芸術の秋…心落ち着く貴重な時間を謳歌しましょう。



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