聖徳太子

 推古天皇30年(622)2月22日は聖徳太子のご命日と伝えられています。
 宗祖・親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主(日本のお釈迦さま)」と敬われており、聖徳太子に関する多くの和讃を残されています。また、正嘉元年(1257)、聖徳太子の伝記を記した『上宮太子御記』という書物を書写しています。
 その中には、磯長にある聖徳太子廟に太子自身が書き残したとされる「廟崛偈」が収められています。(「廟崛偈」の一部を抜粋した、「三骨一廟文」といわれる親鸞聖人の真蹟も現存しています。)

大慈大悲本誓願 (大慈大悲の本誓願は)
愍念衆生如一子 (衆生を一子のごとく愍念す)
是故方便従西方 (是の故に方便して西方より)
誕生片州興正法 (片州に誕生して正法を興ず)

廟崛偈に興正という文字がでてきますが、江戸時代の興正寺では、聖徳太子の偈文から興正寺の寺号をつけたと説かれていました。

廟崛偈に声明の節を付けて「大悲段」という曲を作成し、多くの功績とともに仏教興隆にも尽力されたご生涯を振り返りながら、ご遺徳をお偲ぶ法要にもちいていました。



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師の願い

 声明(お経等に節をつけて唱える)の師匠から拝借した天台宗の声明本に『九條錫杖』がある。
 盂蘭盆会に施餓鬼法要として「九條錫杖」が用いられるのだが、九條全曲唱誦すれば一時間近く要する曲である。

 我々の声明の源流は天台声明であるのだが、師匠は京都大原に通われ天台声明を学ばれた。『九條錫杖』は昭和60年2月9日に購入し、同年3月7日午前大原実光院に於いて学ばれている。声明本に書き込みがあり、「真宗では願生偈にこの節をつけている。永らく法要で使っていないので習礼をしてどこかで使ってみたい。」とある。

『魚山余響』に
「願 生 偈
  此本ハ就西本願寺先御門跡三回忌墨譜依懇望以功音錫杖新書之畢
    享保十二丁末年二月 日 大僧都 珍雄
右信解院殿御三回忌ノ時ナリ 信順院殿懇望ニ依リ製セラレタルナリ珍雄ハ后ニ城南院大僧正ト申ス幸雄ノ弟子ナリトキヽツタヘタリ」

 信解院(本願寺第十四世寂如)三回忌の時に信順院(本願寺第十五世住如)の懇望により享保12年(1727)珍雄が、九條錫杖の譜を願生偈につけている。

 近年用いることがない声明曲であるが、師の願いを和鳴会で実現してみたい。



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