雅楽の春夏秋冬
雅楽には、それぞれの季節にふさわしいとされる調子があります。例えば春は双調、夏は黄鐘調、秋は平調、冬は盤渉調です。
春にふさわしいとされる双調は、新芽の芽出しや若葉の息吹を思わせる明るく軽快な響きがあります。夏の黄鐘調は、太陽の強い日差しや生命力あふれる様子を表現しているとされ、力強く輝かしい響きがあります。秋の平調には、紅葉や収穫の時期を思わせる落ち着いた穏やかな響きがあります。冬の盤渉調は、冬の静寂や寒さを表現しているとされ、荘重で厳かな響きがあるとされています。

また、それぞれの季節をつなぐ調子として一越調があり、季節の変わり目にふさわしく、またすべての調子の中心となる調子とされています。これらの考え方は長い歴史の中で育まれてきたもので、日本人の独特な感性により生まれてきたといえます。私たちのご本山でも、主に4月(春)と11月(秋)に主要な法要がありその中で雅楽が奏でられますが、やはり季節にふさわしい調子や曲を選び、また法要の趣旨に合わせた曲を演奏します。
以前、「法要で演奏される雅楽なんてどれも同じに聞こえる」と言われたことがありました。確かにそのように聞こえるのかもしれませんが、心を静めて聞いてみると雅楽が持つ独特な雰囲気が、寺院という宗教空間と融合してなんともいえない幽玄な世界を表現してくれます。全部同じに聞こえても、実は調子や演奏される曲にはそれぞれに由来や意味があるということを忘れないでほしいと思います。
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篳篥について
今回は、篳篥(ひちりき)という楽器について調べてみました。(下の写真の楽器です。)
篳篥は西域(中国人が中国の西方にある国々をよんだ総称)起源の楽器で奈良時代直前に中国から日本に伝わったといわれています。大篳篥と小篳篥の区別がありましたが、10世紀には小篳篥だけが残りました。

篳篥は漆を塗った竹の管で作られています。表側に7つ、裏側に2つの指孔(ゆびあな)をもつ縦笛です。それに蘆舌(ろぜつ)というダブルリードのような形状をしたものをつけて吹きます。
蘆舌(リード)の作り方についても調べてみました。乾燥した蘆(あし)という草の管の一方を熱を加えてつぶし、つぶした方に世目(せめ)とよばれるものをつけます。世目は、籐(とう)というヤシ科の植物を四つに割って、間に切り口を入れて折り合わせて括った輪状のものです。つぶしてない方には、篳篥(管)と蘆舌(リード)の隙間を埋めるために図紙(ずがみ)とよばれる和紙を何重にも巻き付けます。
篳篥は小さい楽器ですが、音量が大きく、音程も自由に出せるので、合奏では主旋律を担当します。篳篥は、指使いを変えずに、唇や息の調節により、上下一音以上の音程を変化させることができるので、それを利用して、リードのくわえ方と息の強弱、また指使い等の組合わせと調節によって、旋律になめらかさと、すり上げ風の効果を与えながら、必要なアクセントやリズムを与えていく楽器です。
(以上 Webサイト「和楽器ひろば」さんの記事を参考にしました。)
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高松興正寺別院宗祖親鸞聖人御誕生850年ならびに立教開宗800年慶讃法要
今月5月11日に高松興正寺別院に於いて宗祖親鸞聖人御誕生850年ならびに立教開
宗800年慶讃法要が厳修されました。午前10時より高松興正寺別院春季永代経法要をお勤
めし、午後1時より本山より御門主様をお迎えしての慶讃法要が勤められました。
午後からの法要では昭和53年以来の稚児行列が行われ、丸亀町商店街の岩佐佛喜堂に
て仮殿勤行の後、庭儀として高松興正寺別院までの300mを法中とお稚児さんが行
道をしました。100人近い隊列で雅楽の美しい音色に合わせての行道となり圧巻の光景でし
た。その後別院本堂では内陣、余間出勤者は七条袈裟を着用してのお勤めで、仏徳頌では
内陣衆の行道が行われ、境内にて待機されていたお稚児さんと保護者の方も本堂正面から
入堂し、後堂を一匝し二階の回廊からは花吹雪と華葩が降り注ぐ演出が行われました。
この度の法要には甥っ子や従姉妹の子供も参加してくれていたので貴重な経験が出来て大
変喜んでおりました。
近年では珍しくなった稚児行列ですが、もし参加する機会がありましたら親子で是非とも
参加していただき、仏様のお心に触れていただければと願っています。

(写真は高松興正寺別院インスタグラムより)
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誕生日プレゼント
4月8日はお釈迦様の誕生日。花まつりとして白い象さんのパレードや誕生仏に甘茶をかけた経験のある方もいらっしゃるでしょう。
4月1日は浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の誕生日です。
そして今日は今月のブログを担当する私の50歳の誕生日。すみません、お釈迦様や親鸞聖人と併記するなんて、おこがましいにもほどがありますね。
年を重ねるごとに、誕生日は「また一つとった。(涙)」と嫌なものでしたが、50歳を迎えた今年は、「早く誕生日来ないかな?あと2日!あと1日!」と待ち遠しくて仕方ありませんでした。こんなのは子どもの時以来です。
ただ子どもの時とは理由が違う。"50歳目前で死にたくない!” そんな思いで無事50歳を迎えることができました。すでに亡くなった同級生や年の近い先輩後輩もいるのに、大きな事故にあうこともなく、病気に侵されることもなく半世紀生きることができた。ありがたいことです。
誕生日は生まれてきたこと、そしてここまで生きてこられたことを喜ぶものなんでしょう。
プレゼントは今日のいのちと50歳の景色。他にはありませんでした。(笑)
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節目
梅から、河津桜へと花の盛りの移り変わりが春を感じるようになりました。
大人になると同じことの繰り返しに慣れ親しんで「今年もこの季節がきたか」で日々を過ごすようになりがちですが、年度末の忙しさの中で中高生の卒業のニュースを目にすると、人生の節目を迎えた時のことを思い出すことも大切だなと…。
人生の節目は終わりであると同時に新たな人生の始まりです。それまでの積み重ねの成果の結果です。
新生活に心を弾ませている人もいれば、人生の進路に迷いを抱えている人もいるでしょう。
新たな人生を歩み始めると、それまでと違うペースに戸惑う事でしょう。
「イメージと違う」「こんなはずじゃなかった」結果、すぐに学校生活やキャリアをリセットしたくなった人も多いのでは…。
先日、お坊さん仲間の一人から「今日は楽だった。」と一日の感想をもらしたら「それは周りに迷惑をかけたな。」と父親に窘められたそうです。
「どうゆうこと?」
「仕事や勤めはしんどいぐらいでちょうどええんや。」
「なんで?」
「端(はた)を楽(らく)にさせるのが働くいうことやから、しんどいぐらいがちょうどええんや。」
人生の節目というのは、自分がどうありたいかを問う絶好の機会であり、ただ悩むのではなく、どう悩むかが大切なのではないでしょうか。
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